先日、自己分析セミナーを受けてきました。

テンションを上げる自己啓発系とは違って(disってません)、

科学的な分析を元に自分を知るための研修です。

 

 

初めて話す人なのにすごく気が合う。

この人と居たらいつも楽しい。

あの人には細かく説明しなくても通じる。

 

 

伝えたい事が伝わらない。

何だかあの人とは気が合わない。

いつも同じ人と意見がぶつかる。

 

 

こんな経験、ありません?

それを僕たちは普段「相性」などという言葉で済ませています。

ごくごく感覚的なものです。

 

相性のいい人とずっと一緒に居て

相性の悪い人とはずっと会わない

 

それも一つの考え方ですが、

それだけで生きていくのも中々難しいですよね。

しかも、生きていく中でのストレスの大部分がここだったりします(笑)

 

 

さてこの「相性の良し悪し」ですが、

これは【人の特性】という言葉を使って具体的に説明が出来る

という事を今回体験させて頂きました!

 

今回僕が受けてきたのは、

アメリカ発祥のエマジェネティックス(通称:EG)というもの。

人の性格に心理学と脳科学を掛け合わせた分析方法で

70万件以上のデータベースから得た統計分析を用いて

個人の特性を割り出すというものです。

 

 

思考と行動の2つスタイルから個人の特性を割り出します。

モロの数値は個人情報に当たるので晒せません(笑)が、

 

僕という人間はザックリと

「黄赤で左寄りの人間」という専門用語で暴露しておきます(笑)

 

 

 

結論から言うと、ものすごく良く当たっています。

「あ。そうか。そういうことやったのか!」と

我が事ながら行動と思考の巡り方を論理的に理解する事が出来ました。

 

占いとか相性診断ではなく(これもdisってません)、

診断結果はもの凄く明確で的を得ています。

 

 

 

個性には善悪も優劣もない

 

さて、前置きが長くなりました。

今回のセミナーでは、自己分析だけではなくて

同じ特性の人同士、また違う特性の人も混ざったりしながら

幾つかのワークショップを行います。

 

そこで感じた事は、

それぞれの「普通」が違うだけ

という事でした。

 

例えば、ある特性のAさんが旅行に行くとしましょう。

Aさんは、旅に出る前に予め行程表が無いと嫌です。

旅先はガイドブックで紹介されている場所が安心。

予算も、どこで何に使うかを決めてから出発したい。

 

一方、もう一つの特性のBさんはこうです。

旅の行先は方面だけ決めておけば良い。

その地で見つけた宿に泊まるのが楽しい。

訪れる先も、誰も行った事の無いところが楽しそう。

予算は10万円。その中でやりくりする。

 

どうでしょう。

どちらが正解でしょうか?

どちらも間違いでしょうか?

二人にとって、それぞれが自分の「普通」です。

 

 

こんな問いもありました。

「あなたの大金と言えば?」

ある人は1,000万円。ある人は1億円。

 

「あなたにとって長い期間とは?」

ある人は半年。ある人は10年。

 

どれも全てその人の「普通」です。

それは「善悪」という問題ではなく

もちろん「優劣」という概念も当てはまりません。

 

 

 

それぞれの「普通」をぶつけ合うからトラブる

 

ほんの少し文章を書いただけでも、

人の「普通」はそれぞれ違うんだな~という事が分かります。

 

例えば先ほどの旅行の話。

どうしても二人で旅行をしなければならなくなった時、

どちらのやり方が正しく、どちらの行き方が楽しいのか

それを争っていても何も前には進みません。

だってどちらも間違いとは言い切れませんから。

議論は平行線を辿るだけです。

 

 

ネットでもリアルでも、人と人がトラブルを起こす原因のほとんどが

「普通」と「普通」をぶつけ合うことで起きている気がします。

 

まずは、相手の「普通」を理解しようとする気持ちが大切ですよね。

その為にも、先ずは自分の「普通」をちゃんと理解する必要があります。

 

 

どうして自分はその様に行動するんだろう。

どうして自分はこんな感情を持ってしまうんだろう。

 

これは、自分の特性が判明すればすぐに理解できました。

「苦しさが無くなった」と表現できるかもしれません。

 

その行動が、その感情が、良いのか悪いのか…

では無いんです。

どれも個性なんですね(^^)

 

 

 

ワンチームに否定的だった世論

 

少し話はそれますが、先日まで行われていた

ラグビーワールドカップ2019日本大会。

盛り上がりましたね~!

僕も”にわかファン”として、期間中は夢中で見ていました(^^)

 

 

 

日本チームが活躍したことも、大会の盛り上がりには欠かせませんでした。

最終的にベスト8で負けるころには、日本中の誰しもが

「誇り高き日本代表チーム」として称えていたように思います。

 

 

・・・しかし、大会前までは

「外国人が混ざっているのに何が日本のチーム?」

という意見が多かったことも事実です。

 

各国の代表になるには「代表資格基準」を満たしていればOKです。

出場選手の皆さんは日本代表として大会に参加されていました。

しかし、一部の一般人は「日本人じゃ…」という見方。

 

これもある種の「普通」と「普通」の衝突ですね。

 

最後には、「日本の為に」と言い続けて戦う選手たちの姿に感動し

これは最高の日本のチームだと、多くの人が日本代表ワンチーム

であることを認めたわけです。

 

他人の「普通」を認めるということは

【多様性を認める】に等しいように思います。

 

 

 

普通が違うから出来ることも広がる

 

繰り返し、先ほどの旅行の話。

例えば「BさんのアイデアをAさんがプランとしてまとめる」

というのはどうでしょうか。

 

Aさんのやり方では、事前に分かっている場所を巡る旅になり

前評判よりは良かったね~位の、想い出の少ない旅になるかもしれません。

Bさんのやり方では刺激的ですが、トラブルが起きた時の対処や

無駄に行動(支出)してしまう可能性が高いです。

 

 

Bさんのアイデアを

Aさんのマネージメントで上手くまとめる事が出来れば、

もしかしたら誰も経験のしたことが無い

最高の旅行ができるかもしれません。

 

 

これはあくまで例えば…の話ですが、

でも、世の中の多くの場面において

人々がそれぞれの「普通」を認め合う事が出来れば

可能性は無限に広がるような、そんな気がしてなりません。

 

 

セミナーのワークショップでこんな事もありました。

 

①同じ特性を持つ3人で9分間の作業をする

②違う特性を持つ7人で7分間の作業をする

 

結果的に②の方がパフォーマンスが高かったのです。

②は後半でしたので「お互いの普通を認め合う」という

気持ちが強く働いていた…という事もありますが、

気の合うもの同士が作業するよりも、

個性の違うもの同士が作業した方が生産性が高くなったわけです。

 

 

 

「普通」って何でしょうね。

 

 

 

思えば、僕が携わる洋服もそうです。

好みは十人十色。

どんな合わせ方も間違いではなく、優劣もない。

決めているのはその人の「普通」という感覚。

でも、「普通」だじゃ楽しくない。

時には「違う」を取り入れてみると

「あ!ステキ!!」ってなります☆彡

 

 

人間って面白いですね(^^)

そして、ファッションも自由で無限大だ!